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海からのアジア論――海国中国の登場と新たな周縁ナショナリズム(副センター長 濱下武志)




5月29日  副センター長 濱下武志
境界は、自然地理的な境界であるに止まらず、歴史社会的な文化的価値を持つ境界でもある。そして道徳や倫理、思想の境界でもある。

アジア研究は、アジアの捉え方によってこれまでさまざまに議論されてきた。「アジア」という概念は、まずヨーロッパからその域外として認識され、その後アジアの側が自らの地域認識に転用したという歴史を持っている。福沢諭吉の「脱亜」、岡倉天心の「アジアは一つ」、孫文の「大亜細亜主義」などがその例である。そこにはヨーロッパに対抗するアジアのナショナリズムや地域主義をみることができる。これは、東西関係からのアジア論である。

しかしアジアの自己意識が強まるとともに、ヨーロッパとの対比ではなく、アジアそれ自身のなかに歴史的な変化の動因をみようとする研究も深められた。文明論的・地政論的アジア論や、華夷秩序に基づく朝貢システムの研究などである。この中では、琉球王国時代のアジア論すなわち、朝貢=冊封システムや広域ネットワーク論も登場している。

その後、ヨーロッパや日本のアジア植民地政策など、従来とは異なった広域統治が現出し、同時に民族主義やナショナリズム、国家建設が問題となった。これらは植民地・帝国主義という歴史時代に形作られたアジア論である。この時期には、海洋世界は、例えば琉球は沖縄県として、ナショナリズムの内部に組み込まれたのではあるが、独自の民俗・習慣・対外関係を維持してきた。

第二次世界大戦後は、アジア、アフリカ地域の急激な民族独立運動を経て、80年代末の冷戦体制の崩壊以後には、新しいアジア研究とアジア像が求められている。とりわけ70年代のアジアNIES、80年代の東南アジア経済の急速な展開、80年代以降の中国の改革解放政策の推進、さらには90年代の金融危機・経済不況、90年代以降のグローバリゼーションの動きは、国をまたがる複合的な地域関係とりわけ周縁域の新たな役割を現出させている。そこでは華僑・華人や印僑のネットワーク、ベトナム、韓国のネットワーク、沖縄のウチナンチュー・ネットワークなど、かつてダイアスポラ(離散)と呼ばれた移民や移動状況が一転して相互の繋がりの強さを示している。周縁ネットワークのグローバル化現象である。

1997年には香港が中国に返還され、一国二制度という歴史的な宗主的な地域統治を想起させる関係が新たに創り出されている。このように国家とそれらの相互関係として捉えられてきたいわゆる近代アジアの研究方法は、それに替わる海国中国や一国二制度地域の登場、国をまたぐネットワークの活況を総体としてとらえることが求められている。そして、その中でアジアの長期の歴史変動を視野に入れることにより、今後のアジア論は「海」の思想に基づいて、宗主・主権・ネットワークの相互作用や、海域・地域関係を議論していく必要があるであろう。そこでは、海を組み込んだ地域論すなわち海と陸との交渉論が具体的に論ぜられることになる。例えば、「港」という海の出口、陸の出口という境界を跨ぎそれを越えることによって、海と陸の両者は、歴史的な循環構造を持っていたことが明らかとなる。

現在日本は、対内的にもそして対外的にも、明治以降150年ちかくにわたって自らが他のアジアとは異なる文脈で係わってきたアジアに対して、歴史と現在とを同一の視野において、改めて、新たにいかに係わるかを選択せねばならない岐路に立たされていると考えられる。その意味からも海の発想・海からの構想力が問われていると言えよう。