グローバルナビゲーションへ

本文へ

フッターへ



サイトマップ

検索

HOME >  研究員リレーコラム >  危機管理部門/自然災害研究部門 >  富厚里峠とダイラボウ(客員教授 尾池 和夫)

富厚里峠とダイラボウ(客員教授 尾池 和夫)


静岡県立大学グローバル地域センター客員教授 尾池和夫
 日本列島はgeodiversity(大地の多様性)の豊かな国である。地質も地形も、空間的にたいへん細かく変化している。地形の特徴を表す典型的な国字は「峠」という字である。
その他にも辻や畑などの国字がある。峠は鞍部を越える場所で山を上下して越える。辻は道が十文字に交わる場所、畑は焼き畑農業の匂いがする文字である。
 かつて峠は国の境であり、それを越えるとその先は異郷の地であった。したがって峠を越えるときには旅の無事を祈った。峠には祠があり、結界の役割も果たすと同時に安全を祈って手向け、その「たむけ」が「とうげ」となった。地形だけではなく、仕事などでも「峠を越えた」というように使う言葉となった。
 例えば静岡県に峠と付く地名は幾つあるだろうか。天城峠、薩埵峠、十国峠、箱根峠など、ざっと数えて108か所ほどある。その中には富士見峠というのが静岡市葵区と清水区にそれぞれある。あいうえお順に並べると富士峠に並んで富厚里峠という峠があり、ずいぶん豊かな感じの名前に興味を持った。これも静岡市内である。
 2024年5月26日、静岡県伊豆市修善寺にある修善寺総合会館でジオパークのガイドさんたちのための研修会で講演した。伊豆半島ジオパークミュージアム「ジオリア」が地下にある会館である。せっかくの静岡への旅であるから前日に静岡市に泊まることにして、この富厚里峠を訪ねることにした。富厚里にはとてもよく肥えた黒土の畑があり、そこから小さな谷沿いに登るとこの峠である。そこから道がいくつかあり、その一つにダイラボウへという道がある。それを登ると頂上が平らで少しくぼんでいることがわかる。
 地元の小学校の生徒たちがしらべた山の名前の由来が書いてある。それによると「むかし「大らぼう」という大男がおりました。富士山をつくるといってびわ湖の土を大きなもっこに入れてはこびました。大男は富厚里山の上から水見色の高山へとひとまたぎに歩きました。その時の足あとがあるので「だいらぼう」と名づけられました。木枯の森と下流の舟山はその時もっこからこぼれてできたものだと言われています。」(中藁科小学校郷土研究クラブ)とある。そこに描かれた足跡は左足である。その看板の周りには蕨や薇などの山菜が豊富に育っている。

ダイラボウ山頂から見た藁科川

麓の富厚里の畑

 山頂(561m)からは藁科川へ向かって開けた場所が一望できるが、ここから中州に向かってハンググライダーが飛び立つという。広場のちょっと上の茂みの中に三角点がある。
また晴れた日には遠く富士山も見えるという。日本人の感覚の中でたいへん面白いと外国人が感じることの一つがこれで、日本人はどの山に登っても必ずそこから富士山が見えるかどうかを話題にするという。山頂の入り口には大きな石碑があり、「林道ダイラボウ線開通記念碑」(平成16年3月)とある。その横に狭いが駐車場がある。
 「ダイダラボッチ伝説」は日本の各地にあり、ダイラボウと同じような巨人の話が伝わる。山や湖や沼を作ったという伝承が多い。国づくりの神に対する巨人信仰が生んだ伝説であろう。柳田國男が「ダイダラ坊の足跡」(『中央公論』1927年4月)で日本各地から集めたダイダラボッチ伝説を考察した。名前のバリエーションが多く、でいだらぼっち、ダイランボウ、だいだらぼうなどさまざまである。大太法師、大太郎坊などの表記もある。
 浜名湖にもだいだらぼっち伝説があるが、そこでは気が優しくて力持ちの大男が村の子どもを掌に載せて遊んでいて転んで、投げ出された子どもが大泣きとなり、大男も申し訳ないと大泣き、気がついたら大男が手をついた跡に涙がたまって今の浜名湖ができたという。
 石谷山(526m)は静岡県藤枝市瀬戸ノ谷にある山で別名「びく石山」と呼ばれる。朝比奈川水系と瀬戸川水系の間の山地で、「びく石」は山頂にある巨大な角礫岩の岩塊のことである。他にも「夫婦岩」「滝見岩」「がま石」「富士見石」などの多くの岩がある。「びく」は茶摘みに使う竹籠のことで、遠方から見ると山頂の形がびくを伏せたように見えるのが山名の由来という。それらの石もダイダラボウが落とした石だと言われている。
 同じ巨人伝説が全国的にあるが、長崎の南島原市には「みそ五郎どん」という名の巨人がいる。名前がかなり異なるが、これも同じような伝説を持っている。
 次の日、私はジオパークのガイドさんたちにこのダイラボウの話もして、富士山や南アルプスの地震活動が2011年3月11日以来異常に活発化しているというようなことも話した。引き続き静岡県と周辺の地震や火山の活動については私もグローバル地域センターの客員教授として研究を続けていきたいと思っている。

図:2001 年 1 月 1 日から 2024 年 2 月 29 日までの富士山付近の浅い地震の数の変化(積算数) 深さ 0 - 30km マグニチュード 1 以上1182 個。
  2011 年 3 月 11 日直後、地震数が急激に増えた。その後も数の増加の率が、 3 月 11 日以前の増加率より高い