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中国は国際法的にも尖閣諸島を放棄している




ニューヨーク・タイムズ電子版 10月4日掲載文(和訳)
グローバル地域センター特任助教 西恭之
米国の著名なジャーナリスト、ニコラス・クリストフ氏は9月19日、自らのブログに台湾国立政治大学・邵漢儀氏の「釣魚・尖閣諸島の不都合な真実」と題する文章を掲載した。

クリストフ氏は、ピュリッツアー賞を2回も受賞したニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト。「尖閣諸島は中国領」とするコラムを複数回、同紙に執筆した人物としても知られている。

邵氏は、ブログに掲載された文章の中で、1895年以前、日本政府は尖閣諸島が中国領だと認識していた、と主張している。

そのクリストフ氏がこのほど、邵氏の主張への国際法に基づく反論を公募したこともあり、筆者(西)は以下の趣旨で英文の反論を投稿した。


邵氏は、ブログに掲載された文章の中で、1895年以前、日本政府は尖閣諸島が中国領だと認識していた、と主張している。

しかしながら、尖閣諸島を中国固有の領土だとする中国政府の主張は、1970年以前に行われた同政府の主張と矛盾している。

1970年以前、中国は米国統治下の琉球諸島の一部として尖閣諸島について、しかも「尖閣諸島」と表現する形で、琉球諸島住民による自己決定が行われるよう、米国に要求していた。要するに中国は、琉球諸島が日本に返還される場合には、尖閣諸島も日本に返還されるべきだとする、米国と日本の立場に同意していたことになる。

禁反言の法理(エストッペルの法則とも呼ばれる)は、一方の自己の言動(または表示)により他方がその事実を信用し、その事実を前提として行動(地位、利害関係を変更)した他方に対し、それと矛盾した事実を主張することを禁ぜられる、という法である。すなわち、一方が事実であると主張したことについて、前言を翻すことによって利益を得ることを禁止しているのだ。

仮にこの先、中国の主張を国際司法裁判所に付託すると日中両国が合意した場合、同裁判所は「文明国が認めた法の一般原則」などの四つの基準を適用するか、または、両国の合意の下、例外的に「衡平及び善に基いて」裁判をすることになる(国際司法裁判所規程第38条)。

これまで国際司法裁判所は、島をめぐる紛争などに関するいくつかの判例において、禁反言の一般原則を適用している。

国際司法裁判所規程にある「文明国が認めた法の一般原則」は、過去に放棄した領土について「固有の領土」として回復を主張するという、今回の中国のような考え方を含まない。

以上の前提に立つと、中国の主張を審理するうえで最も重要な証拠となるのは、中国が1970年以前の段階で、「尖閣諸島」を含む琉球諸島において、住民の自己決定は日本復帰も選択肢に含む形で行われるべきだと、主張していたことである。

例えば琉球諸島の範囲だが、中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』は1953年1月8日、「米国の占領に反対する琉球群島人民の闘争」という記事の中で、「琉球群島はわが国の台湾東北部と日本の九州島西南部の間の海上にあり、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隅諸島、など七つの島嶼」と定義している。

そして、「自由、解放、平和を求める琉球人民の闘争は孤立したものではなく、独立、民主、平和を求める日本人民の闘争と切り離せない」などと、日本復帰を選択肢の一つとする住民の自己決定を要求している。

この時期、中国は米国との間で朝鮮戦争を熾烈に戦っていたが、それにも関わらず、米国統治下の「尖閣諸島」について「中国領土として認めるべきだ」「中国に返還すべきだ」とする主張をしていなかったのである。

筆者は、邵漢儀氏が取り上げた19世紀の文書の解釈も、明清代の文書の選択も、ここでは評価の対象とはしない。それらの文書は、1949年の中華人民共和国成立から1970年までに中国政府によって承認された国境をめぐる禁反言とは関係ないからである。

百歩譲って、「1895年以前、日本政府は尖閣諸島が中国領だと認識していた」とする邵氏の解釈が正しいと仮定した場合でも、中国が1949年から1970年にかけて尖閣諸島の領有権を放棄したという歴史的事実は、動かし難いものだ。日本政府が国際社会に発信すべきは、この一点に尽きるだろう。
  (日本語版初出:国際変動研究所メールマガジン「NEWS を疑え!」第150号)